雑記(アカデミー 賞とマッドマックス)

私はあまりアカデミー賞やオスカーなどを追ったりはしないのだが、今日のTwitterのタイムラインにあったフォローしている方々の熱気に当てられてしまい、つい最後まで追ってしまった。大好きなマッドマックスが6冠を達成したり、レオナルド・ディカプリオが5度目の正直で主演男優賞を受賞したり、人種差別に対する皮肉やジョークが釘を刺したりと、とにかく盛り上がり、見ていてとても楽しかった。レオナルド・ディカプリオ主演男優賞を受賞した時の盛り上がりようはネットの画面越しだが、非常に心にくるものがあった。まだ日本では公開していないもの、まだ公開する予定のないものがあるが、公開されることを楽しみにしていきたい。
私が2015年に見た映画の中で、女性が重要な役割を占めていたものは「マッドマックス 怒りのデスロード」と「コードネーム U.N.C.L.E.」だったように思う。前者は虐げられていた女性が尊厳を取り戻す為、戦い、後者は女性が自分の役割をしっかりこなし、チームの勝利へと導いた。6冠を達成したので、マッドマックス 怒りのデスロードについて思っていることを書いていこうと思う。
マッドマックス 怒りのデスロードは貴種流離譚だ。この場合、英雄はフュリオサのことでマックスではない。いくつかの試練を乗り越え、女たちは求めていたものを手にする。イモータン・ジョーを倒し、砦に戻ってきたフュリオサたちを見て、行動を起こしたのも乳母たちだ。ウォーボーイズや男たちはただどうしようかと、ウロウロとしていただけに過ぎない。余談だが、そういう映画に対して「女のファンがいたから潰された」などという発言を見た。ナンセンスもいいところである。本当に映画を見たのか疑問だ。
この映画は何となくだが、マックスの物語の後日譚のような、番外編のような気がしている。マックスが穏やかな余生を送っている時に、自分の人生で大変な時期を振り返り、「そういえばこんなこともあった」ということを自分の孫に語っているような、そんな雰囲気がした。だからか、マックスのセリフや行動は少なく、あくまでもフュリオサを中心とした女たちが物語を動かしていく。マックスが物語において重要な役割をしたのは、砂漠を越えて緑の地を目指そうとした女たちに「砦に帰れ、あそこをお前たちの緑の地にしろ」と諭したところだ。マックスはウォータンクの運転手をしたり、戦えない子産み女たちを守ったり、敵と戦ったりはするが、基本的な役割はそこまで重要ではない。これはフュリオサの物語だ。女性の物語と言っても良いかもしれない。それを意図したのかはわからないが、ジョージ・ミラー監督はアクション映画の経験がない奥さんのマーガレット・シクセルに編集を行わせている。
私がマッドマックスを好きだと、好印象を持つ理由や、女性のファンが多いところはこういうところにあるのかもしれない。